美や芸術

 母から聞いた幼少時の私は、ハンバーグとカレーが苦手で、泣く事もほとんどなく、言葉が少なめでまるでオッサンのような子供だったらしい。あまり可愛くはなかったようだ。

遊び場は野山という自然児で、近くの空き地にある大きな石の上からは季節によって山の表情が変わるのを見ていたし、草木の匂いや風の音が冬には雪の粒までも、子どもなりに感じていたように思う。遊んでいると一日の終わりはあっという間に訪れて、夕日を背に寂しい気持ちで家に帰った。

 小学4年生の頃、母親と県立美術館のピカソデッサン展に行った。ピカソが何なのかを知らない田舎者でも衝撃を受けた。炭でひん曲がった線ひとつ、フラフラしてる影だけでも当たり前だがピカソは上手だった。以後、私は炭黒色にハマる事になる。自分の中での自己ファッションだった。ところが学校ではピカソとはまったく値しない黒の芸風は浮きまくり、「この子は病気なのかもしれない」と先生たちに心配され、「家庭で何かあったんでしょうか」と丁寧にも家に電話をかけて頂いた事もある。

 同じ頃に父親から二眼カメラを貰った。この中古カメラにはドキドキした。シャッターを押すと「ガッチャ」と重い音が手に響き、悪くない気分で一杯になった。家に帰る途中の夕日を撮ると、いつもの寂しい気持ちが不思議にも消えていった。始めの頃はろくに写っていなかったけど撮る事は楽しみになった。

 月に一回、日曜の朝は映画館。といっても楽しみなのは映画の前に寄る喫茶店のモーニングセットだった。厚めのトーストと卵は銀色の皿に盛られてこれが日曜の朝の思い出となっている。映画の内容はどうかな?洋画が多かったように思う。気にいった音楽があるとサントラレコードを手に帰宅した。なので家はサントラ版レコードが多かった。レコードの音楽鑑賞はホールで行われる定期音楽会で聴く音楽と違って、一人時間を強く厚くしていった気がする。

 

「芸術が人生を豊かなものにしてくれる」

「芸術は人間になくてはならない存在」

 欧州の大臣たちの発言を聴くと目を細めてしまう。

 

  誰もが子どもの頃から少しづつ美術に触れて大人になる。人生の中になにかと芸術が登場する。日本の学校ではそんな事は教えてくれなかったけど、誰もが地面に石で描いていた丸や四角から、草花の香りから自分の芸術の始まりをやんわり体験していくのではないだろうか。芸術が今の自分にどんな影響を与えたかはわからない。世界恐慌とまで言われる時となった今日になって、もしかしたらやはり日本は芸術の存在を真正面から捉える事が苦手なのではないかという事態を目にしている。

 

だけどね、私はこう思っている。

21世紀こそ「美」や「芸術」が人類に大きな影響を与える事になる。

 

 

 

# stay at home

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