半夏生

 夏至(6月21日頃)から数えて11日目からの半夏生(7月2〜7日)は、歳時記を読むと農作物の大切な目安であり、田植えはこの時期に終わらせるものとされてきたとあるのだが、今はどうだろうかと疑いが生まれる。朝は豪雨で日中は猛暑でと、長靴とビーサンを激しくいったりきたり。窓から景色を眺めていても、ほどよい感じが全くしない。日常的に土を触っていない私はそうとう鈍感だ。農作物を作られている人から実際の話しを伺う必要がある。

 感染症の影響を受けて家にこもり国際的感覚までもが鈍くなり、今年前半は移動を抑えたおかげで気持ちが少し億劫で内向きになり、さあ自粛解除といわれてもまだ疑いがないわけではなく、何か捉える感覚がこうキリリと抜けきれずもっさりしている。

 

 モニターごしになった人々との面会は日常になったが、熱く文化が生まれる匂いが薄い。仲間たちと生存をかけた文化支援に作品応募するも、反響は跳ね返りが薄くなにかと物足りない。すべて薄く面白くない。共に在る事を避けろと言われる感染症時代を脱皮する術はどこにあるのだろう。現時代のルネッサンスは?

 

 先週ZOOM Meetingに参加した。「長崎の配達」は引き続き待機となった。プロデューサーたちの判断を仕方がないとも理解しているが、本作だけでなく世の中の映画製作公開は揺さぶられキリリとしない。私の希望は、この映画は急いだり稼いだりの性質ではないので、どうか夏にはどこかで上映している映画になって欲しい。人々の忘却スケジュール帳に貼られるイエローのポストイットだ。そうなりたい。

 

 無事に田植えが終わると、水田や神棚にお神酒を備え田の神に感謝をする。人々が繋いだ大切でピリリとした生活文化。関西ではタコを食べ、近畿では半夏生餅を供えるんだそう。

私も作物の大きな収穫と文化の大きな発展を願う。