孤独時間

COVID-19を体感している自己の記録として記しておく。

 

 新型ウイルスは瞬く間に世界的な大事になった。私の気持ちは行く宛のない海の上を彷徨う葉っぱのよう。今は人生初の非常事態宣言の時を過ごしている。もともとフリーな人生だけど少しは思い描いていた普通を見失ってるだろうか?ただ突然の成長停止令に混迷しているかというと個人的にはそうでもない。普段から引きこもりには慣れている。  

 大きな世界遺産図鑑をめくる朝が続く。いつからか人は時代を語る時、増加量を増やして右肩に向けて登り走るのがベストな時代だと信じていた。「成長」という経済言葉にも慣れて2000年以後のグローバル化に誘導された私たちは無抵抗なままにこれらを受け入れてきた。そして2011年3月に私は気付く。こういったマラソン計画はたった200年足らずの事。圧倒的な美しさや力強さで完成された世界各国の文化遺産をゆっくり深呼吸して見れば、本来の完成とは容易に簡単な計画ではない事を教えてくれる。驚くべく時間を地球は歩んで来たんだ。

 

 一方、科学と政治は無駄な発想を好まず解決するのが正解で、性質上最短な道を選ぶらしいがそれは本当なの?最短ってどんな尺の事なのだろうか。私は夕方になると毎日の感染者数の報道を見て社会の行方を思う。「感染症流行時に助け合いの精神がないのは想像力が欠損している」これはCOVID-19に大きな影響を受けているイタリアの小説家の言葉。私の場合も郵便で届くと言われるマスクを想像して憂鬱になるのだ。それだけではない。小さな住まいの中で薄いiphoneを手にして自ら絞り出した想像力にて、地球や日本の問題と友の無事を同時に案じてそれはそれは穏やかではない。時間はあるが心はアタフタしている。これが孤独なのか?

 

 人々は感染拡大防止対策にて多くの孤独を感じとっている。皆と一緒にいたい、あと1m近づきたい、自然と共にありたい。こうしていきなりスピードが落ちたらしいインターネットを使い、自分と社会の間にこの上ない結びつきを確認し合う事を望んでいる。そして1週間を過ぎたあたりから、この時間を有効に使いたいと社会的原因や経済的原因を考え、そしてこの騒動が改善されたなら未来はこうありたいと思い描く。しかしその時はまたもや人より一歩先に出たいという自らの古臭い癖に気付き、ああ自分は過去の人だと目を伏せる。過去を反省して成熟した大人の孤独時間を過ごせているか?  

 

 この時期に「私たちは自然に対して自分を押し付けていないか」と同イタリア人小説家がいう。日本にいても寒い夏や暑い冬の異常さにとうに気付いている。気候変動は地球の周期のひとつだと?ビルゲイツは植物の種を保管していると?いったいこのウイルスは何処から来た?寝転んで眺めるiphoneに情報が入り乱れる。今の孤独時間には世界情報の真贋もが交差する。- まずは視る物すべてに疑いを- 私はこういった変な推奨を必要とする現人類の所在がもはや心配でもある。時間が自分に戻ってきた今ならば、深呼吸して情報の正確さを慎重に判断できるのかもしれない。

 

   私の孤独時間はどうだろう。

 

 COVID-19。世界の色んな地域の人が命を落とし、映画を越えるような現実を突きつけられて悲しみの経験をしている。多くの人と同じように私もただ自分時間を漂っている。孤独は自分を突きつけてくる。一体何が自分なんだろう?

 考えてみれば自然や芸術はもとから非線系であり遠回りが得意かもしれない。氷河時代に生き延びたミノムシを例に、小ささは柔軟性だけが長けるらしい。そのサイズから貢献できる役割があるはずだと自己ドローンを使って俯瞰で見ている。人に見えているけど捉えにくい事柄を“できれば”簡単に表現したい。映画でも写真でも、いたずら書きでも何でも。

 人々の孤独時間は、急ぎすぎた200年から一旦立ち止まり、あらゆる尺を疑い自分の目でしっかりと見る機会を得たのだとしたらどうなのだろう。世界がマスクを外してドアを開け、再び出発する日を願って。

 

 

         Photo/ 尊敬する「銀花」より