仕事のあてもなく独立した10年前、仕事は案の定なかった。それが理由ではないけれども、なけなしのお金でカメラを購入しコルシカ島へ出かけた。ある女性に手助けしていただき画家・松井守男を撮る旅を決行したのだ。目的は生きている画家を体感するためだった。思えばこれが自主制作のはじまり。フランスといえば助手時代にパリの古本屋でみつけた藤田嗣治の版画が自分の中ではひっかかったままだった。記憶って面白い。こうやってひとつひとつが、繋がっていく。運命に逆らわずにそのままにしていると、いつか必ずつながるような気がしている。
今年前半「あめつちの日々」制作が落ち着いたところでコルシカを撮った画をプレビューをした。撮り後10年たつということがずっと重く感じていた。なかなか見る気持ちにならずにいた。プレビューすると、あろうことにパリ・アンバリッドLes Invalidesで、レジョン・ド・ヌールについてインタビューをしている。1区の画廊オーナーにも芸術についてインタビューをしている。無知というのは恐ろしい。小さなカメラで堂々たる撮影だ。小さなカメラを馬鹿にする訳でもなく立場ある方々がみな紳士的に対応してくれている。フランスの文化に対する尊敬は深い。
コルシカ島では芸術家の暮らしというものを嫌というほど体感した。画家には大変よくしていただいた。芸術家のまわりに集まる人々は芸術家を必要としていたしとても優しかった。自然の光は美しく、海は蒼く、人間は成熟していた記憶がある。人々の文化的な暮らしは日本と比べ物にならない。日本というより東京と比べていただけかもしれないけれども。撮影時、ただその事実を体感してあからさまに日本人の私は落胆した。
画廊のオーナーが私に言った。「日本は文化的に優れたものが合ったよね、かつては。」
画家は私に「こっち側においで」と言った。
芸術美術に何も関係がない私ですらこの違いにはただ心が痛んだ。画家本人だったらそれは重大なことだろうと感じていた。フランスと日本の両国に関係していた生前の藤田も、生きている松井氏にしても、彼らはこういう境遇に遭っているんだと理解した。どちらに身を寄せるかというとフランスにいることを選ぶに違いない。私は日本人でいて欲しいと願うけれどもとても強要できない実際だと思った。私の彼らをみつめるカメラは静かな視線である。
撮影して10年。登場している画家も10歳歳をとられただろうし自分も10年時間をあけた。記憶は残っている。
だけどこの素材をどうすべきかわからない。人のためになるだろうか。