プロダクションノート – 素材プレビュー

 2月。東京には雪のニュースが流れる。降ったり振らなかったり。ただ寒い。眺めるのは画面と窓だけという日を暮らしている。1日の中で何時間か座っている机は20年以上使っている木のテーブルで、昨日気付いたのだけどずいぶんと色が変わってきたような気がする。若かりし頃によかれと思い購入したテーブルは、今思えば表情が浅いものだったけど、20年という時に学んでよい頃合いになったのかな。そういう自分もそのぐらい世間に燻されたのだろうか。やや不明すぎる。

映画「長崎の郵便配達」は1週間をかけて日夜問わず時間のすべてで撮影素材のプレビューをした。昨年秋から何回目ぐらいのプレビューだろうか。プレビューというと格好良く聞こえるかもしれないが、撮った素材をただ流し続けてただ眺めているだけの事。私たちはまず撮った画を疑う事から初めるので、この素材プレビューの頃は実はあまり気分は良くはない。実をいうと一度編集を進めたのだが、思う事がありまたプレビューに戻ってきた。素材に戻る事はくだらない事かもしれない。進行的にいうと一歩後退したような状態だ。少しは削ぎ落としができたように思う。しかし…

 

白洲正子は「無私無徳が物を見る上の一種の技術」と書いていたけれど何か似たような気持ちがある。今回の映画の撮影素材はそんなに量がないので、これまでの映画に比べたら時間的な耐久は軽いのだけど、本質の部分が軽くはないのでいずれにしても正直にいうと辛い。それにしても上手く撮れないものだなあ。反省ばかりのハタ迷惑な感情がむくむく溢れ、他人のせいに出来ぬもやもやをお茶を飲む事によりなんとか溶かす。それでも有り難い事にまた次の朝を向かえて進む。映画って本当に陰険で嫌だなと思う。

 

同時に次の段階の準備も始めないといけない。各方面の先生方に連絡を取らせて頂く。次の段階というのは写真や映像などの資料画探しだ。この数年じわりと探してきた。各方面のひとつひとつに専門家が存在している。過去の歴史という膨大な中から一枚の画を選ぶ仕事は素人には簡単ではなく、しかもまだ理解されていない写真の存在もある。こういう先生方に支えて頂きつつ進めて行く。先生方がみな非常にこの映画に協力をしてくださる理由は、映画に出演していただいている方々の生前の生き様というか彼らが培った人生力の結晶だと理解している。今後も国内外のこういったやりとりは画が決定されるまでギリギリまで続けようと思っている。しつこくやる。まだまだ決められない。

 

空が明るくなってきた。丁度フランスのキャストから吉報が届いた。あの人からの連絡が入るタイミングは本当に見事で驚く。
それはまた次回に。