8月はあっという間に

 

 8月5日は映画公開日だった。

 公開日にまで時間が進むにつれ、ようやく映画が手離れされるという安堵感と、やんわりとネガティブな気持ちとが並走していた。長崎や広島でご覧になる方はどんな気持ちになるだろう、被爆二世や三世の人たちは本作を観てどう思うだろうか。いくらでも心配な気持ちで溢れかえる。大人げない。作家として女々しい。公開するしかないんだ、そのために作ったのだからと考えなおす。

 

 無事にイザベルが来日してきた時、ああこれで自分の仕事は終わったという気分になった。ビザ取得で大変な来日だったけれども、彼女はよくぞ日本に来てくれた。あっという間にシネスイッチ銀座の舞台挨拶日となった。イザベルの他、大倉正之助さんも大鼓で打ち開きにお越しいただき本番を迎えた。だけど私はあんまり実感がわかなかった。まだぼんやりとあっちの道をみていたようだ。

 

 シネスイッチ銀座の舞台挨拶を終えてイザベルとロビーをウロウロしていると、劇場から出てきた皆様から盛大な大拍手がロビー中に沸き起こった。何事かと思った。皆さん笑顔だった。それとユナイテッドシネマ長崎でこっそり中に入って映画を観ていたら、終了後にスタンディングの大拍手が起こり、何ごとかと後ろをみたらお客さまたちがこっちを見て拍手をしてくれていた。やはり笑顔が多かった。こういった一般劇場というよりまるで映画祭の一部のようなシーンを体験した。あまりの事で呆然としてたけど、映画を作ってよかったのかもしれないと思った。

 

 製作中はほんとうに苦労した。もう駄目だと思った事も一回や二回ではない。もう二度とああいう月日を生きたくはない。限界になるといつも誰かの助けが届き、ゆっくりゆっくり進んできた。資金のなかった映画が完成に至った。「この映画を作ってよ」とメモを添えて寄付金を送ってくれた皆さん、仲間で集めたお小遣いを送ってくれた皆さん、ずいぶんお待たせした。静かに待っててくださってありがとう。皆さんから届いたメモはもちろんまだ持っている。

 

 そして、2022年強烈な暑い夏、学生上映会(広島・長崎・東京・横浜)を実行するにあたり数々のお世話してくれた皆さま、全国の映画館用にとチラシを配布しまくってくれた皆さま、テレビや新聞の取材が重なって、てんてこ舞いになっている間に東京長崎を中心に広報にフル回転してくださった皆さま、「監督、暑いけど頑張ってよ」背中を押してくれた皆さま、空に向かって「ありがとう」と叫んだところで、どれだけお礼を言っても、すべてのみなさんに伝えきれた気持ちがしない。どうしたものか。

 長崎のタクシーの運転手さんに「もしかして監督?」と声をかけていただたり、平和公園で「監督ですか?映画観ました」と声をかけていただいたり、日常の小さなところに事件は続出している。

 

 たしかに自分は映画製作が熱狂的に得意な方ではない。映画監督に憧れた人生だったわけでもない。ただ今回は作家として逃げずに自分が作っておかなきゃいけない内容を見つけただけなんだ。何年もみんなを巻き込んで苦労した。今もこのまま普通の仕事に戻れる気がしない。だけどね、今ようやく気がついた。この映画は自分に対しての大きな挑戦でありギフトだったんだ。すべての人に感謝を。

2022年の8月はまだつづく。

蝉の音が聴こえてくる

「長崎の郵便配達」の仕事は始まったばかりだ。

 

(2022年8月28日更新)