若狭「若州一滴文庫」

「今年も人のあまりゆかない所を歩くしかない、と思う」と [ 面白半分 ] (1980年)の水上勉が私に告げるので、年末年始はひとりうーんと唸っていた。2018年の暮れに私は偶然にもこの[ 面白半分 ] 臨時増刊号「かくて、水上勉。」(1980年)を手に入れた。先代はなんとくだらない名で格好よい仕事を残した事か。「面白半分」を手にした私はかすかな気力とわずかな体力にて考えた。さすがに野良な私でも無駄な時間がない時代に突入しそうだという事だけは感じとってやまないので、ただ唸っていても仕方もないわと、水上氏に謂れある福井県おおい町へ向かった。もうご本人は2004年に他界していらっしゃるが、幼く9歳まで生きたこのおおい町に文学館を残している。「若州一滴文庫」だ。

おおい町は敦賀からJR小浜線に乗りほぼ1時間半の距離。京都と山を挟んだ反対側の日本海にある狭地で冬の気候も厳しい過疎の地だったのだが、1970年代より原子力発電の誘致などにて今ではすっかり整理された道が通る施設豊かな町となる。何故ひらかなの町名になったんだろうとかと調べたら、2006年に名田庄村と合併しておおい町になったそうだ。そういう私も敦賀にて幼少時代を過ごしている。若い頃はどうにも苦手な地だったのだがこれを機に若州一滴文庫を訪れる事で若狭に触れてみようと思った。理由は「面白半分」と「昭和と私」の水上勉が目の前に重い音をたてて現れたからだ。

初めて訪れた若州一滴文庫。 

水上氏が寄贈した書籍、竹を愛した痕、文楽劇場、そして氏の気持ちを現代に引き繋いでいるNPOの方々。

 

若州一滴文庫web      若州一滴文庫

すべてに感動。

大作家は大きな仕事を成し得て死んでゆくのね、と村上勉の根っこのはった仕事に心落ち着く。

もうすこし時がきたら自分なりの若狭を記してみようと思い立つ。近く取り組まないといけないとしている。

しょうもない事にうだうだ悩むのはやめにする。

 

 

この写真は館内の劇場。撮っていいものか迷ったのだが撮影させていただいた。

輝く床だけでなくすべての在り方が美しい。現代の方々へどうか届いてほしい。

(写真は問題あればすぐに削除する)

 

 

若州一滴文庫は賛助会員を求めていた事を知った。気の合う方々へ届きどうか参加いただけると嬉しい。

一滴の里 賛助会員募集