「長崎の郵便配達」映画制作経過

仕事部屋の窓を開けているとうすら寒く感じるようになってきた。今朝富士山頂が白帽子を被っていてとても驚いた。時は秋から冬に進んでいる。

今手がけている映画制作は長い時間がかかっている。これまでもそうだったが制作者として気持ちを上げ耐え続ける気力というかそういうものが一番難しい。今朝のように冷たい朝の空気に触れていると、もはや思い出になってしまいつつあるが、今年の夏の真っ最中に本作の撮影はスタートされた。数年前から少しカメラは回していたものの本格的な開始は今年だった。撮影に進むまで色んな方々に相談したり応援されたり呆れられたり。経済力のない映画制作者が疲弊し向かうと思われる道を自分もどんどん進んでいくという実感があった。世間との距離を真に受けとめていたし、商業映画に進む仲間たちを遠目にみていた。

ある時、映画企画に同意がされた。奇跡的だった。その時の家への帰路を今でも覚えている。優雅な制作を望んでいるわけでなくより前へ進める事が素晴らしい。そうして今年の夏、撮影隊はキャストと共にフランスから長崎へ移動しロケは実行された。長崎ではキャスト初来崎にちなんで地元の方々を招待し制作発表する機会を頂いたり、キャストは最終日に地元メディアに登場し自ら話をした。撮影協力として地元の方々はもちろん、市や長崎フィルム・コミッションにも加わって応援頂いた。

 現場は想像していたとはいえ撮影地としての長崎は例年になく激しく暑い気候だった。キャストのシャツは汗でびっしょりになり何度も乾いた。人数不足の制作部はひとりで現場を耐えた。撮影部は手足不足の文句もなく機材を手に階段を登った。録音技師の帽子のつばから汗が垂れていた。スチールカメラマンがボランティアで全行程に参加した。地元や東京からのボランティアの女性達が現場を支えてくれた。思えば熱中症で誰も倒れなかったのが幸いだった。8月の長崎へ外国人と撮影に向かう難しさの中、あえてドキュメントカメラで撮るリアルさに挑戦した場所もある。実りもあったし失敗も多かった。色んな意味でハードなロケだった。色々あった事は事実としても参加してくれた方々みんなドリームチームとして深く感謝している。しかしキャストはタフだった。私たちはどうしても今年の夏に撮りたかった理由があった。今年のお盆はカメラと共に長崎にいたかった。

 

内容は時代が好む映画とまっこうから別方面に舵をとっているように見えるかもしれない。だけどそれだけじゃない事をも捉えたい希望がある。何と闘っているのかが解りにくいかと思うのだけど。

そんな映画製作を応援する会としての寄付金事務局が立ち上がり、しかも一般からの寄付が進んでいると聞く。まだ始まったばかり。こういう事事態が奇跡的だ。すべて始めての経験の中を歩んでいる。

次のフェーズへ。

この経験はいつか文章にしておこうと思う。