制作に疲れてやいないかと心配して会いにきてくれたご夫婦が土産にとシュトレンを持ってきてくださった。ずっしり重い豪華な贈り物につい顔がほころんでしまった。もう12月だ。急に寒さが厳しくなったように感じるけれど、北の方では今年も雪が降り始めているようだ。この時期は沖縄県読谷村にある読谷山焼・北窯では例年開催される陶器市がある。いまごろみんな準備で慌ただしくしている事だろう。今年は制作中で応援に行けない事を恥ずかしく思う。仕事部屋の窓に遠くの空へ飛行機が向かっていくのが見える。陶工の皆さんに会いたい気持ちを辛抱し今年の暮れは制作に浸ろうと思うのである。それが自分の平成最後の師走だという事にしよう。
平成最後。新元号ともなれば昭和に生まれた自分は折り重なって3つの元号を生きる事になる。いったい私たちは大丈夫なのだろか。恥ずかしくも社会に何か残したものはあるだろうか。特に平成の終わりと聴くとそんな気持ちになる。昭和天皇が崩御した1989年、その1月11日朝日新聞夕刊に載った水上勉「昭和と私」を読む機会があったのだが、それは水上氏にとっての昭和という時代がよく理解できる文章で強烈だった。重々しくもその時代を生きて素直に柔らかな強さで自分の文章をして発言する作家が立ちはだかる。いま私たちが取り組んでいる映画に登場する英国人作家Peter Towunsendと同じだ。深く考える機会になっている。
それに比べたら自分はなにひとつ説得力がないと思わざる得ない。もちろん普通の庶民であり水上氏同等の仕事などできやしない。だけど私たち世代は何だろうかと思う。昭和の後半に浮かれた日本で仕事を始めて以来平成になってもそれが忘れられず自己疑問を持つ。今覚えばやはり何かおかしいなと感じ始めてた頃、地震があり東北地方は大震災に襲われた。そののちに毎年のように天災害が日本のどこかかしこを襲うようになったように思う。今でも色んな方々が苦労されている。自分は平成を終えようとしている時代の全く落ち着きのない社会をなんとかかんとか生きている。それと映画というものは企業が販売しているハードとソフトと電気を使って撮影し編集する。そうやってフィルムをつくったところでなにか虚しいだけではないのかという決着できない自分への問いが残る。次の世代には夢を見てもらいたいなと願うものの、その地盤をつくることすらできないただのひもじい制作者だ。
さてとお茶を入れようと思う。いただいたシュトーレンは勿体なくてまだ手をつけれらない。ありふれた庶民として平成最後の師走は構成作業で走る。