プロダクションノート – 音楽

 間違いなく、2020年に私はまだ仕事をしていない。昨年秋からやはり気が晴れない。毎年この時期は窓際でぼんやりする時間が多い。今年の自分の目標を自覚して、例年のごとくその無謀さにうつろで遠い目をしているだけで映画館や展示会にすら足が向かない。今週の空模様も、世界週末時計の進行も、種苗法も、そして皆の健康も、くるくる考えてはぼんやり時間の繰り返し。

 しかし、こんなどん曇りの自分でも昨年12月にひとつの光をもらっている。

 それは「長崎の郵便配達」の音楽打ち合わせだ。

 

 音楽家とは昨秋に話をした。映画の中で時間づくりの展開として音楽は大変重要な仕事をする。しかしドキュメンタリーなのでその存在は最小限にしたいといつも考えている。ベストマッチというより、若干はずしてみる事や挑戦してみる事で、意外にもピリっと画と音が世界をつくる。難しいんだけど、それが自分たちですら想像できていない映画に匂いや透明感という効果を与えるように思っている。なので本当に音楽は手強い仕事なのだ。しかも私はまるで音楽は詳しくないために毎度あいまいで、まるで正確に伝える事ができない。細々するより音楽家には映画の物語をキャッチして偶然を楽しんで欲しいと思っている。

 ベストマッチを避ける考えが下地とも言えるので、私たちは音楽家の信頼関係が重要になる。それに加えて本作の場合は、人として同じように未来を考えている気持ちや、現実を生きている生の部分、そういう現代の世界感や危機感や喜びなどが共用できる事が大切な気がしている。その決して口では語らない振れ幅が大きければ大きいほど人の気持ちに気づく事ができて、それが音楽物語に影響を与えるのではないかと思う時がある。音楽もタフでなければ作れないものか。

 

 その後、クリスマス前に音楽家はすっと短いデモを聴かせてくれた。感動的だった。そのデモはまるでモノトーンの画の上にさっと美しい彩色の砂が降ったようだった。

 この音楽家が想像する音は画が持つ物語に音楽として寄り沿う距離や湿度が絶妙に気持ちがいい。甘くなく冷静でなく。

 

 これからの録音に心が踊る。

 

 本作は各々の仕事をするプロフェッショナルなスキルと化学反応を起こしつつ進んでいる。

 想像を超えるスローなスピードだが…。

 

もう少しで「長崎の郵便配達」に音楽が加わる。

みんな有難う。

 

 

今年も一番の寒い季節になった。今の空は一年のうちで一番深い色を魅せる。頑張ろう。