ご縁があり博多の西日本新聞社さんを訪問した。その大事な用事を終えて一安心したところ西日本新聞社さんの向かいは西鉄の駅だった。ああ太宰府だ。たしか太宰府は日本書紀(671)にすでに書かれてある、というまるで直結していない記憶を理由にして、翌日は冬日青空の下列車に乗り込んだ。
かつて九州地方の統治組織があった地。今回は観世音寺へ向かった。観世音寺は聖武天皇の時代746年に完成。太宰府の大寺として九州の僧統の中心となり、761年には東大寺、下野薬師寺とともに戒壇院のひとつになったとある。その後平安時代以降は観音信仰の寺として民衆に支えられ、宝庫には仏教芸術である平安時代から鎌倉時代までの5mほどの大仏像など重要文化財16体が残されている。(他2体は九州国立博物館にあり合計18体)
宝蔵に入ってみると参っている人はおらずただ説明音声が響いている。仏像の真正面にゆっくりと立つ。十一面観音菩薩立像にも面会した。最近は仏を見る縁が重なるのだが、深く知識を持っているわけではないのでただ見ることしかできない。だけど時代なのか各地にある個性なのか、よく見ればなんとなくそのようなものがふと見えてきた。こういう時間は自己と向き合うために土門拳の写真を考えるのだが、思えば想うほどとてもじゃないけど自分は仏教美術にまだまだ程遠いところにいるんだと着地する。
宝蔵を出て境内を散策すれば古い梵鐘が静かに存在していた。いつもの事だが時代を経てきたあらゆるものの前に立つとどんどん自分がちっぽけになる。あぜ道に座って気を取り直そうと空を見え上げて、太宰府の大きな歴史の中に自分の小さな知識をくるくると巻き巡らせる。これは周波数を合わせるようなものかな。外から寺のある風景をみてみると、なんとなく奈良とも似通っているように見えなくもない。来月には今年も東大寺の修二会がまた始まる。
土手に座って散歩中の犬とすれ違う穏やかな時間が嬉しく思えた。やんわりと梅も咲き始めている。
鞄には西日本新聞社さんから受け取った宝物が入っている。自分の現在、映画制作に戻ろう。