人はどのような状況になったなら、未来を思い描く力が発動するのかと考えてきた。特に2011年以降は考えた。自然と人との関わりを知れば生命力や知恵が生まれるのではないか。まあ、偉そうにそう想い巡っても、自分は今風でいうならば確かにかなりの時間をボーっと生きてきた。恥ずかしい限りだと認めざるを得ないので、残り人生で必死で挽回しようとしている。
辛い事があった時に前を向くという力の在り方は、しっかりと未来を想像できる力というか、それは過去から学ぶのではないかと思った。学生時代は「歴史に学べ」と大人たちの声でバクっと世間的に耳にしていたけど、きっと器用に人生の立ち振舞をせよという事ではないんじゃないのか。私は2010年頃からドキュメンタリーの映画を作ってみて実感した。少しの過去を知ったのだ。その知恵が重要だった。「人類の歩んできた過去を知る」事が自らが前に進む知恵であったり、気持ちを未来へ向ける一番の瞬発力になるんだと私は感じてきた。難しい事ではなく素朴に人はそういう生き物なのではないかと思っている。
現代は人が想像をしなくなっている。断言する。それは自らの生き様を放棄したようなものだ。生き物として不利だ。自分の事でいうと、そんな時代では創造の世界がとても窮屈だ。一枚の画だけでは「わからない」とか言われる。私のしったことじゃない。
今週は長崎の映画を編集し始めた。捉えるところが進んできた。
人が想像する画で溢れさせたい。みんな想像して想像して、それで未来へ進んで欲しい。
それが薄い表現か骨ある強い表現か。それが私たちの勝負かもしれない。
この映画の寄付金がまだ続いている。こうして少しづつ前へ進んでいる。責任感は重く感じているけれど、よく考えればこれは皆で映画を作っているんだという気持ちで溢れ常に心強い。寄付活動をしてくれた方々にお礼申し上げます。諦めずに頑張ります。
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