春になったら。お正月の頃にはそんな事を考えていたけれど、本当の3月を向かえてみればあまり進歩はしていない。毎年これを繰り返している。自分の内面が極端に薄い年は、春がやってくるのは外からの情報で知る事になる。カレンダーだ。
三浦にある自然栽培農家を訪れその畑に立った時、「畑はつねに古くて新しいものである」という水上氏の「土を喰う日々」3月にある文章は流石だなと思った。しばらく近くでみていると、畑の主人は野菜たちにまるで人と同じように話しかけている。自然栽培の畑に野菜たちは草と同時に土に生きている。いっけん原っぱのような状態だ。今は種が巻かれて静かな時のようだ。土と植物の関係性を人が学ぶとその3者が互いに気持ちよく共存できる。そんな風景に見えた。それらすべてを太陽が整えているように思える。畑は実に爽快。これほど日々の反省に適した場所はない。
春は待ち遠しい。散歩時間に出会う蕾や芽吹きにてこんな自分ですら生きる気持ちを取り戻す。
2019年 東大寺の修二会は今年も始まってることだろう。